日本音響学会

音のなんでもコーナー

Q and A (119)

Q:

「聴く」と「聞く」の違いは何ですか?どのように使い分けるべきですか?

A:

国語の専門家ではないので詳しい論議は避けざるを得ませんが,視覚や聴覚などの感覚に係る用語は使い方に極めて微妙な要素が関係しているようです。「聴く」と「聞く」は英語の「listening」と「hearing」の違いに似ていると言う説明を聞いたことがあります。
厳密な意味での正否については定かでありませんが,日常的な音感覚を考えたとき,日本語の「聴く」と「聞く」とにはもっと深い意味の差異があるように感じられます。
漢字のルーツである中国の漢の時代に遡ると「聞」と「聴」の違いを垣間見ることができます。中国では,隔たりを通して耳にするのが「聞」であり,まともに耳に入るのが「聴」であると区別して使い分けているようです。伝聞・風聞・外聞・内聞などに対して傾聴,拝聴,盗聴,吹聴…。これらの熟語について,「聞」と「聴」を入れ違えると不自然に感じられます。紀元前6世紀,漢の時代に編纂された「論語」に「是聞也,非達也(是れ聞なり,達に非ず)」の記述があり,また「聴其言而信其行(其の言を聴きて其の行いを信ず)」,と言うように「聞」と「聴」が区別して使われています。「聴覚」と言うけれど「聞覚」とは言いません。「聴診器」であって「聞診器」ではありません。一般に心理的な音表現では「聞」が使われ,生理的な音表現では「聴」が使われているようにも感じられます。論語に並ぶ中国の古書に「大学」があります。その中の一文に「心ここにあらざれば,視れども見えず,聴けども聞えず,食らえども其の味を知らず。」の一文があり,「聴く」と「聞く」,更に「視る」と「見る」には明確な差異があることを知ることができます。話は本筋からそれますが,「喧噪」という熟語と「喧騒」という熟語は全く同意に使われています。ちなみに中国では騒音のことを「噪声」と言います。今日の日本では音響用語として,「騒音」は使われますが「噪音」は使われることがありません(古書には「噪音」という用語も目にする場合があります)。日本で使われる漢字には様々な用語に難解な区別があるように感じられますが,混同されている場合も少なくないようです。我々が頻繁に使用する用語に「計測」というのがあります。「計る」のか「測る」のか。両者の意味や使い方に違いがあるのでしょうか。ワープロの漢字変換作業の折にしばしば戸惑わされる用語の一つです。Q&Aの適切な回答にはなりませんが,「聴く」と「聞く」については慣用句的に明らかな使い方の差異があるように考える次第です。
最後に,中国の古書「管子」の一文を紹介しておきます
「耳司聴,聴必順聞(耳は聴くことを司り,聴けば必ず順聞す。)」

(山下充康:小林理研)