日本音響学会

音のなんでもコーナー

Q and A (178)

Q:

携帯電話で生の音楽を伝送することは可能ですか?

A:

実験をしてみると分かるのですが,携帯電話で音楽を伝送しようとするとかなりの音質の劣化が生じます。その理由としては,携帯電話はもっぱら音声を符号化して伝送するように設計されていることが第一に挙げられます。アナログの有線電話のみが利用されていた時代から,音声を電話で伝送するには 300 Hz 〜 3,400 Hz の帯域のみを伝送すれば会話に必要な情報は伝送できるという基準があり,現代の携帯電話においてもそれが踏襲されています。これ以外の帯域の信号はカットされるため,音楽を十分な音質で鑑賞するために必要な帯域を確保できず,音質が劣化してしまいます。 しかし,音質劣化の原因はそれだけではありません。携帯電話では,同時に通話できる数を確保するために,情報圧縮を行うことにより無線伝送における帯域を削減する必要があります。そのために「ハイブリッド符号化」という方式が用いられます。これは PCM のように音声波形を原音の波形になるべく近くなるように符号化する「波形符号化」と,人間の発声過程を音源とフィルタでモデル化して,モデルを制御するパラメータの情報を符号化する「ボコーダ型符号化」の混合方式てあるため,このように称されます。現在の携帯電話の音声符号化方式は,このハイブリッド符号化方式の代表である Code Excited Linear Prediction (CELP) 符号化という方式を基本とした音声符号化方式を採用しています。 この方式では,声道による調音の過程を線形予測フィルタによりモデル化することに加えて,音源情報をベクトル量子化の手法を利用して,合成音声が受話器から入力された音声になるべく近くなるように音源のベクトルを選択する仕組みを使っています。当然,このベクトルや線形予測フィルタは音声を合成するために最適なように設計されているわけで,音楽を合成するには不向きなわけです。
  では,音楽も伝送できる音質のよい携帯電話は実現できないのでしょうか?そのためには,サンプリング周波数を高くして符号化できる帯域を拡張することと,音声に特化したモデルを利用するハイブリッド符号化の代わりに,波形をなるべく忠実に符号化する波形符号化に基づく方式が必要になります。こうした符号化方式に関する研究はすでに進んでいて,64 kb/s 程度のビットレートで音楽や背景音を伝送できる方式も開発されています。 しかし,これは第3世代携帯電話で用いられている AMR 方式の最大ビットレートの約4倍程度を必要とします。従って,携帯電話による高音質での音楽伝送のためには,ビットレートが増加した分だけ携帯電話ネットワークの伝送帯域を広帯域化することが必要になります。こうしたネットワークの広帯域化などのインフラ整備は無線通信技術の進歩に期待するところが大きく,いましばらく時間がかかりそうです。

木幡 稔(千葉工大)