日本音響学会

音のなんでもコーナー

Q and A (023)

Q:

気候の長期予報に科学的なてがかりを与えてくれるのはエルニーニョなどを観測する海洋観測であると言われています。この海洋観測でいま注目されているのは海洋音響トモグラフィの開発であるという新聞記事を読みましたがこれはどのようなものでしょうか?

A:

“El Niño”とは英語の“the boy”です。クリスマスの頃南米西岸に暖水と恵みの雨を授ける元来は「神の子」が発達集中し過ぎて海洋生物の壊滅や大洪水をもたらす海流異常です。学術的にはENSO [El Niño-Southern Oscillation] と総括され,南太平洋上の気圧配置や貿易風の方向が反転する気象現象と相関を持っていますので気候の長期予報のための情報源にもなる訳です。
  海洋学的研究によれば,海洋循環の運動エネルギーは 100 km のオーダ(“mesoscale”)での変動によって占められています。従って,観測領域は 1,000 km×1,000 km×5 km 程度の体積になります。5 km は太平洋などの代表的な深さです。この体積の各辺を10等分しても1,000個の部分体積での平均的観測値が必要です。そこで登場したのが広域リモートセンシング技術としての「海洋音響トモグラフィ」です。tomographyの‘tomo’とは‘slice’とか‘cut’を意味するギリシャ語です。海洋を垂直と水平にスライスして,その断層像から3次元的な海洋構造を探ろうとする考え方です。音波は海水の温度,塩度及び深さで決まる音速分布に従って屈折しながら伝搬します。深海では約 1 km の深さに音速最小の層があり,その近くから送波された音波は海面側と海底側で何回もターンしながら,音速最小の層に沿って遠くまで伝搬していきます。 一つのパルスを広角度に送信すると,多数の伝搬経路が生じ,幾つものパルスが次々と受信されます。これらの音響パルスが従来の海洋観測において長いケーブルに装着した測定機器の役目をしています。パルスは10個以上識別できますので,送波器と受波器を5組配置すれば,250個以上の測定機器を用意した勘定になります。どこかにエルニーニョが現れると,そこを通過するパルスの伝搬時間は早まるので,高温異常を検出できます。
  伝搬時間(正確にはその変動)から音速構造(の変動)を求める「逆問題」は容易には解けません。音速変動が求まれば,海水の温度・密度変動が海洋学的に分かります。従って,250個もの音響パルスに関してこの逆問題を効率良く解くことが重要になります。この種の問題はオーストリアの数学者 Radon によって1917年に提起されていますが,周知の医療診断用X線 CT[computerized tomography]は最近の成果です。
  問題を単純化して X 線 CT に似た設定を考えてみましょう。1 akm の深さに送・受波器 を1,000 km 離して各5個配置し,観測平面を16等分して 250 km×250 km の格子面に分割します。すると問題は25個の音線の伝搬時間変動から16個の格子面での音速変動を決定することになります。そこで「最適値問題」を解くために開発された手法を適用して格子面での音速変動を求めています。
  その他,音響トモグラフィにはいろいろな水中音響技術が活用されています。数十〜数百 Hz の低周波音の指向性送・受波,パルス圧縮,相関処理などにより 1,000 km の伝搬距離に対して最終的に 20 dB 以上の SN 比を獲得しています。
  エルニーニョのような海面近くの異常は人工衛星から光波でも見えますが,海洋内部の構造変化や異常となると音波で見るしかありません。地球温暖化の元凶と言われる炭酸ガスは海面で混合され,海中に溶解し,深海に存在する流れによって運ばれます。最近のデータでは炭酸ガスによる水温の上昇は年平均 0.005 ℃ 程度です。このような微小変化を検出するには長距離伝搬させることによって変化を「拡大」して見る必要があります。10,000 km の音波伝搬ですと,100 ms 程度の伝搬時間の減少が期待できますので,検出可能です。
  送波と受波を入れ換えて双方向伝搬時間差から海流の流速分布を求めようとする試み,伝搬経路の分離が困難な浅海への応用なども含め,海洋音響トモグラフィの世界はその観測網と共にますますグローバル化していくものと期待されます。

吉川 茂(防衛庁技研本部・5研)