日本音響学会

音のなんでもコーナー

Q and A (044)

Q:

「心理物理学」という言葉を耳にしますが,「心理学」とはどう違うのですか。

A:

「心理学」と一口に言っても,その対象は感覚・知覚から対人関係,集団行動まで多岐にわたり,対象の特性に応じて方法もまた多種多様です。「心理物理学」(psychophysics,精神物理学ともいう)は,その中でも,「感覚・知覚」を対象とし,刺激の物理量とその刺激によって生じる心理的過程との関数関係を実験的手法により調べる分野のことです。この名称は,「感覚の大きさは刺激強度の対数に比例する」という法則で有名なG.T.Fechnerの“Elemente der Psychophysik””(1860)に由来します。音響の分野でいえば,最小可聴値の測定などが,その典型的な例です。まず,ある周波数において,音圧レベルの異なる音を何回も被験者に聞かせ,「聞こえる」か,「聞こえない」かを判断させます。すると,音圧レベルの関数として「聞こえる」と判断される率が求まります。この関数を「心理(精神)測定(psychometric function)」と呼びます。心理測定関数は通常単調増加のS字型曲線になりますが,この曲線がある値(例えば0.5)を横切るときの刺激値を「閾値」とします。次に周波数を変えて同様の手続きを繰り返し,得られた閾値を周波数に対してプロットします。これは,ある一定の反応出現率をもたらすための刺激の周波数と音圧レベルとの補償関係を示したものといえます。心理物理学で測定される値には,絶対閾,弁別閾,主観的等価点などがあり,伝統的な測定法としては,恒常法,極限法,上下法などがあります。最近では効率のよい適応的な方法(変形上下法,PEST法,最尤法など)もしばしば用いられます。また,マグニチュード推定法をはじめとする尺度構成法や,統計学的決定理論に基づく信号検出理論などは,閾値を求めないという点で伝統的な方法とは異なりますが,心理過程の数量化と言う点では,心理物理学的測定法と近い関係にあります。詳細は,「心理学的測定法 第2版」(田中良久,1977,東京大学出版会)や「新編 感覚・知覚心理学ハンドブック」(大山・今井・和気編,1994,誠信書房)の第1部第2章などを参照して下さい。聴覚の分野では,心理物理学によって,音の大きさ,高さ,空間定位など様々な心理的属性について物理量との対応が求められていますし,聴覚系の周波数選択性や時間変調伝達特性などの研究も盛んに行われています。これらによって,物理量から心理量を予測する実験式を得ることを目的とする研究者もいますし,ブラックボックスの中に一歩踏込んで,聴覚特性の背後にある機構の分析を目指す人もいます。たしかに心理物理学では入力(刺激)と出力(反応)の関係しか観測できないわけですが,実験計画を工夫したり,生理学的な知見を援用したりすることによって,機構的な推測も可能となります。これまでの知見は,“Hearing””(B.C.J.Moore編,1995,Academic Press)などにまとめられています。さて,「心理物理学」と並んで一大勢力といえば「認知心理学」ですが,両者の違いを面白半分に述べてみましょう。〈心理物理学者はアンプ制作を好むが,認知心理学者はプログラミングを好む〉心理物理学とは,アンプにいろいろな信号を入れて出力を測定し,内部の回路を推定することに外なりません。心理物理学は行動主義と親和性が高く,一方の認知心理学はアンチ行動主義であり,ゲシュタルト心理学とかチョムスキーの文法理論とかに影響を受けています。〈パターン認識について,心理物理学者は「あんな高次なものは」と言い,認知心理学者は「あんな低次なものは」と言う〉守備範囲がアナログかディジタル(シンボル)かとも言えますが,この溝は結構深いようです。境界面こそ重要なのですが。〈心理物理学者は,分散分析をしない〉心理物理学では,データの値そのものに意味があり,平均と分散をプロットしておけば後は曲線の形がすべてですが,認知心理学では条件間の差に意味があり,わずかな差に意味を求めて難しい分散分析を駆使します。もちろん,このように型にはまった見方は不毛です。結局,心理物理学とは,数ある道具の一つに過ぎないのであり,有効性はひとえに使い方如何です。生理学のミクロなデータと突き合せたり,計算モデルの妥当性を実際に検証したり,それぞれの手法の特性を生かして柔軟に利用することが望まれます。

執筆者:柏野牧夫(NTT)